インタビュー

Vol.3

漢文訓読に使った言葉が今に生きているんです。

月本雅幸

オリジナルの訓点研究をめざして


私が、自分が訓点の研究でなんとかやっていけるかもしれないと、ある程度思ったのが35歳のときで、これでなんとかやっていけるなと本気で思ったのは、最近のことです。

私は本当に自信がなかったんです。私の上には、たくさんの大先生たちが亡くなった方を含めていらっしゃいましたし、そういう方々と比べてみると、私がなにか研究する余地が残されているのだろうか、っていうことが大きな問題だったわけです。

私の師匠である築島裕先生というのは、直接お会いになったことがある方はおわかりですが、超人的な方で、原稿なんてあっというまにお書きになるんですね。たとえば、右から左に資料を写していくときにものすごいスピードなんです。人を待たせて「ちょっと待ってください」と言って、電柱やそこらへんの壁にはがきを押し当てて、はがきをさっと書いて、駅前のポストに投函して、その話の続きをしたという話もありました。これは私も何度も見ておりますので事実でありますし、そのたぐいの逸話には事欠かない方なんですね。つまり、ひとりが成す仕事の量としては膨大な量をされるので、そういう方の弟子としていったい何ができるのかという大問題があるわけです。

したがって私は、築島先生のやり方とは違う訓点研究の手法を考えようと意識的にいたしまして、それでなんとか生きているというところなのかと思います。

――築島先生と違うアプローチというのはどういうものなんでしょうか。

実は漢文の古訓点の資料というのは、大きく分けて仏教関係のものと仏教関係以外のものに分かれるんです。ところが築島先生自身が明らかにされているんですけれども、日本では仏教関係のものを100とすると、仏教関係以外の資料は1しかないんです。

つまり、とくに古い時代、平安時代、鎌倉時代の古い漢文の古訓点の資料というものは、圧倒的にお寺にあるんですね。仏教のお寺では仏像に魂がこもっていると考えるのと同じように、そういう仏教の経典のたぐいにも魂がこもっていると考えている。したがって基本的に、特別な厚意を持ってくださっている場合以外は、写真撮影ができないのです。仏像も普通に拝観客としていけば写真撮影禁止ですね、あれと同じことなんです。そういう場合にどうするのかというと、手で写すしかないんです。つまり、今もなお平安時代と同じように、写本作りをするわけなんですね。今は毛筆ではなくて鉛筆を使いますけれども。多くの若い学生たちにはこれが耐えられないんです。

また、それをどのくらいのスピードで写すかということが決定的な問題になるわけです。そこで、大きく二つのやり方があります。手法ということから申しますと、大事な部分をピックアップして写すという考え方と、とにかくいけるところまで最初から順番に写すという考え方です。

築島先生は明らかに前者で、大事なところをピックアップして写すわけです。ところが、私は学生の頃、何が大事なのかわからないわけです。ピックアップしようにも大事なところがわからないとだめですから、結局端から写すことにしました。そうすると、大事なところをピックアップして写すんであれば「はい終わり」と言っても、まだはじめのほうを写しているわけです。

ただ、これは古訓点の学問の基本の二つの流儀なんです。

たとえば、ある漢字にどういう読み方が付いているかという、漢字一字を取り上げて研究する場合でしたら、このピックアップ方式で十分役に立つわけです。しかし、ひとつのセンテンスの中でどのような使われ方をしているのかを調べようと思うと、ピックアップ方式では、そのあとにどういう文字がきているか、どういう単語がきているかがわからないから、もう一回調べなおさなければいけなくなるわけですね。

しかし、宗教的に貴重な文献を何度も何度も調べ直させてもらうということは、そう簡単なことではない。それから、基本的に貴重な仏典のたぐいを見せてもらうときも、すべては先方の都合にあわせなくてはならない。「○月○日の○時に見せるから来てください」と言われるので、そのときに「いや、用事があります」と言ったらもう終わりなんですね。ですから私はすべての用事に優先して、その本を見に行くわけです。ただ、それが夏休み、冬休み、春休みならいいんですけれども、授業のある日だったらどうするかという問題があるんです。昔は大目に見てもらって休んでおりました。今は休むと叱られたり、最低限補講しなければなりません。これも、若い研究者が古い訓点の研究をしなくなった大きな原因だと思っています。

とにかく、見せてくれるというときには行かなければならない。そして「写真を撮られるのは困ります」と言われたら、手で写さなければならない。朝9時ごろにお寺に行って、だいたいお寺は4時には帰らないといけないので、昼1時間くらい休んで正味6時間、休まなくても7時間しかない。その中でもどれだけ写せるかということになってきますね。

古訓点の研究者というのは、21世紀に生きていながら実は平安時代に生きているのと同じようなものなんですね。自分の手で写し、それを解読する。大変手間がかかることです。

ですから、私どもの若い学生にはあまり勧められないんですね。そういうことをやってたくさんの文献を写して、そこからデータを取って、やっと論文がひとつ書けるかどうかくらいだと思います。論文ひとつではとても職を得られません。研究職に就くにしても5つや10の論文をある一定の時間の中に書かなくてはいけませんので、私は日本人の学生で古訓点の研究をやりたいという者に対しては「悪いことは言わないからやめておけ」と言います。「一ヶ月考えてそれでもなおやりたいと思ったら面倒を見る」と言っていますが、一ヶ月考え直して「やっぱりやりたい」と言ってきた日本人学生は、ひとりもいません。私は、東大に21年勤めておりますけれども、ひとりも出てまいりませんでした。あと7年で定年なんですけれど、たぶんもう出てこないと思います。

しかし、外国人の留学生のなかには「私が日本語を研究するのは、日本人と比べてどうせハンディキャップがあるだろう、ならば挑戦するならハードルが高いほうがいい」と言って、あえて訓点の研究をやるんだと宣言する人たちがいるんですね。こういうことを聞くと私は感動して、日本人には教えないことも外国人には教えようかという気持ちになったりします(笑)。

もちろん、今のは冗談ですけれど、私は、何も教えてくれない徒弟制度というものの辛さをある程度味わいましたので、日本人の学生にも「秘伝」だと思われることを何でも教えているんですね。つまり、これまでの学生たちが何十年かかってなんとなく体得してきたその知識というものを、私は言葉にして「これはこういうものなのだ」とか「こういうものはだいたいこういうものなのだ」というふうにですね、話しているんです。

しかし残念なことに、今の学生たちはそれが秘伝だということに気がついていないので、あまりありがたがって聞いてくれず「またなんの話なのかよ」という顔をしてるんですけれど。まあ、あまり恩着せがましくいうのもなんですから、私はさらっと話すことにしているんです。ただいつの日か、私が死んだあとですね、「今にして思えばこれが秘伝だったんだ!」というふうに思い返してもらうことがあれば本望だ、ということが私の考えです。

(以下、Vol.4 へ続く)

月本 雅幸(つきもと まさゆき)

国語学者。東京大学大学院人文社会系研究科教授。

共著に『日本語の歴史』東京大学出版会(1996)、共編著に『古典語研究 の焦点』武蔵野書院(2010)、『新訂 日本語の歴史』放送大学教育振興会(2005)、共編に『古語大鑑』東京大学出版会(2012~)、『訓点語辞典』東京堂出版(2001)などがある。
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