インタビュー

Vol.3

漢文訓読に使った言葉が今に生きているんです。

月本雅幸

漢文訓読の言葉が現在に生きている


――漢文訓読とひらがなやカタカナとの関係について、お伺いしたいのですが。

ごく簡単に漢文訓読のことを申しますと、私は西暦400年頃に日本に漢字が伝わったと考えているんです。はじめのうちは、中国語で発音をし、もとよりそれはおそらく朝鮮の百済から伝わったので、中国語そのものではないでしょうけれど、古代朝鮮語系の発音で読んでいたと。しかし、いずれにせよ外国語ですから、日本人にはなかなかハードルが高くて、漢文を読むのは当時は難しかったと思います。

ところが、ある時期に誰かが漢文を日本語に翻訳して、漢文の字面をそのまま日本語として読み下すという方法を考え出した。これは、日本人の知恵だと思う方が多いようですけれど、実は漢文の訓読は、日本に先立って朝鮮半島に確かに存在したので、それを考え出したのが古代朝鮮の人々だとは申しませんが、そういう古代朝鮮の影響を受けて、日本で発生したものだというふうに考えることは十分可能であろうかと思います。

そして、そのときに、漢文に読み方を付けるときに発明されたのがひらがなやカタカナです。ひらがなはまた別の用途でも使われたので、結局は次第に漢文の振り仮名に使うのはカタカナだと、そういう相場ができてきて、その後カタカナと漢文のつながりが密接になってきたんですね。

ひらがなは、今の漢文でも振り仮名に少し使ったりはしますけれども、江戸時代では、まずひらがなは使わない。つまり、はじめは漢文の振り仮名にひらがなとカタカナの両方を使ったけれども、中ほどにはカタカナだけになり、近代・現代ではまたひらがなカタカナの両方を使うようになっている、ということになるかと思います。

漢文といいますと非常に特殊なもののように感じますけれども、実は、漢文訓読の言葉というものは非常に後世の日本語に影響を与えているんです。それは単語のレベルでもそうですし、それから文章を書くときに、漢字を中心にして書いていくということ自体が漢文訓読の大きな影響なんですね。

伝統的な日本の文章というものは、ひらがなだけで書いていくというのがひとつの主流なわけです。ところが、現代の文章は漢字とひらがなを混ぜている。古くは明治時代でもそうですし、漢字とカタカナを混ぜることが非常に盛んにあって、その漢字とカタカナを混ぜるということは、実はこれはごく簡単に言ってしまえば、漢文訓読の影響なんですね。第二次大戦後は、その漢字とカタカナを混ぜているものもカタカナをひらがなに直し、これは法律、法令文なんかでもそうですけれども、漢字ひらがな交じりというものが一般的となってきているわけです。そういう意味では、はるか現代に至るまで、思いのほか漢文訓読の影響を受けた点というのは、日本語の中に多いということなんですね。

たとえば、「AとBがたがいに」というときに、「each other」という場合にですね、伝統的な大和言葉では「かたみに」というんですね。百人一首の歌の中にもありますけれども。ところが漢文訓読のなかで使う日本語では、これを「たがいに」というんです。「かたみに」と言って、それが「each other」の意味になるってことは、現在の日本人にはほとんど理解不可能ですが、「たがいに」と言ってわからない人はいないわけです。つまり、伝統的な大和言葉とは違う言葉を漢文訓読には使ったことがわかっております。現代語にもしばしば、もちろんすべてではありませんけれども、漢文訓読に使ったほうの言葉が生きている、そういうことがあるわけなんです。ですから、われわれが意識しないところで、漢文訓読の影響が非常に強く残っていると面があるということなんですね。

つまり、現代日本語を作っている柱が何本かあったとしたならば、そのうちの一本は少なくとも漢文訓読なんだということになるわけです。

――漢文訓読の言葉のほうが、現代語として強く残ったというのはなぜでしょう?

ひとつは学問の影響だと思うんですね。それから学問というものが、もとは僧侶や貴族、とくに男性貴族の占有物であったわけです。それがだんだん裾野が広がっていき、江戸時代になりますと、儒教が社会のすみずみにまで広がっていって、武士でも論語をきちんと読まなくてはいけない。そうなると、どうしても学問は暗記ですので、論語の文章を暗記するということが行われる。で、そういうなかでの言い回しが他の部分にも伝わっていくということが多かったのではないか。私なんかはそう考えます。

さっきの「かたみに」という言葉は和歌に使う言葉ですけれども、昔の人全員が和歌をたしなむわけではありませんし、源氏物語のような優雅な文章を自分から書こうという人はもっと少ないわけです。ですから、論語や需要の学問を通じて身についた言葉というのを、日常的な生活のなかでも多く使うようになるという傾向はそれほど不思議なことではないんではないかと思っております。

日本の漢文訓読の研究者はたったの10人!


――漢文訓読の研究者はどのくらいいらっしゃるのでしょうか?

日本の古い漢文訓読の研究者というものは、10人いるかいないかというところです。

それにはいろんな原因があるんですけれども、ひとつには、若手の新規参入が非常に難しかったということがあると思います。

しかも平均年齢は非常に高くて、日本の古訓点の研究者の最高齢は、岡山大学と島根大学の名誉教授でいらっしゃる大坪併治という先生です。この方は今年102歳になられますが、現役の研究者で、今年また一冊本を出されるそうです。その原稿は、ご自身でWordで、振り仮名、返り点付きの文章をお打ちになるんです。そういう大変にご高齢の矍鑠(かくしゃく)とした大先生たちがなみいるなかで、若手研究者が新規参入するということが、今も昔も難しかったということでしょうかね。

そういう意味では、私の研究というのは、孤独なものでありまして、そのなかで学生時代から35年ほどこういう研究をやっておりましたので、すっかり孤独に強くなりました。ですから、誰かに見てもらおうとかほめてもらおうとか言う気持ちは別にないんですね。

しかし、私はときたま(あることを)知りたいと思って昭和のはじめ頃の論文を探し出して読んだりしていますが、同じように、50年後くらいに私が書いたものを振り返って読んでくださる方が、一人でも二人でもあればいいなあ、ということを感じております。

用語解説

かたみに(互に)
互いに、かわるがわる、の意。
百人一首には清原元輔(きよはらのもとすけ)の以下の和歌が収録されている。
ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは
現代語訳:約束しましたよね、お互いに涙でぬれた着物の袖を絞りながら。末の松山を絶対に波が越すことなんてないように(決して心変わりはしないと)。


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