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エッセイ

Vol.4

ごく短い回想録・漢字とのつきあい(四)

川西 蘭

2014.01.14

 経典は一字一句変えてはならない、というルールがあり、そして、日本では漢訳経典に関して、そのルールは厳格に守られている。

 なぜなのか、門外漢の私には詳説できないが、漢籍を権威として尊重する伝統と漢文を「訓み下し」で和文に変換するという独特の「翻訳」方法が影響している、とは言えるのではないのではないか。

 前回はここまで書いた。


 今回は少し具体的に漢文の「訓み下し」の利用について触れたい。

 取り上げるのは、親鸞の主著『顕浄土真実教行証文類けんじょうどきょうぎょうしょうもんるい』、略して『教行信証』だ。

 この本は、他力浄土門たりきじょうどもん(いわゆる他力念仏の教え)について、その体系を詳述したものだが、インドで成立した経典や論書、インド以外(主に中国)で書かれた註釈書など、経・論・釈の引用文で構成されている。

 親鸞が自分の言葉で書いた部分は、ごくわずかで、しかも、その大半は讃歎さんだんだ。

 さて、釈迦がインドで説き、入滅後、弟子たちによって整理され、体系化され、西域を経て中国に伝わり、海を越えて日本に伝来した仏教は、自らの精進によって覚悟し仏と成る教えであり方法論だ。他力浄土門の立場からは、これを自力聖道門じりきしょうどうもんと呼ぶ。

 他力浄土門は、阿弥陀如来の本願力(これが「他力」だ)に乗託して仏と成る教えであり方法論だ。自分の精進の力を認めない。凡夫には力になるほどの精進はできない、という立場を取る。

 こう書くと、他力浄土門が仏教ではないかのように思われるかもしれない。親鸞の同時代にも、浄土教に対してそのような疑義を呈する人たちがいた。

 そうではない、他力浄土門は仏教だ、と主張するために親鸞は『教行信証』を書いた。

 より正確には、龍樹から源空(法然)まで七人の師によって継承され、自分に授けられた浄土門こそが大乗仏教の真髄だ、と親鸞は主張した。他力浄土門は自分が独自に作り上げた法門ではなく、祖師たちによって相承され自分が受け継いだ正統な法門だ。

 正統性の主張は、だから、自力聖道門だけでなく、親鸞の他力浄土門を異義・異界と受け止める源空の弟子たちをも射程に入れていた、と言えるだろう。

 話が少しそれた。

 他力浄土門が仏教だと主張するためには、典拠は仏教経典(経・論・釈)でなければならない。引用に際しては、経典は一字一句変えてはならない、というルールを厳密に守る必要がある。少しでも隙を見せれば、集中攻撃を受け、法門自体を葬り去られてしまう。

 経典はもちろん、論も釈も自力聖道門の立場で書かれている。これを典拠として他力浄土門を体系として組み上げるには、かなり大胆な解釈で経文を読まなければならない。

 親鸞は、一字一句変えてはならないという日本仏教界のルールを逆手に取り、「訓み下し」の技法を最大限に活用して、この難題をクリアした。

 たとえば、こんな風に。


 『仏説無量寿経』巻下に本願成就文ほんがんじょうじゅもんと呼ばれる一節がある。

[原文]
 諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転

[通常の読み方]
 あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向して、かの国に生ぜんと願ずれば、即ち、往生を得て不退転に住せん。

[親鸞の読み方] ※本願寺派『浄土真宗聖典』註釈版より
 あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへり。かの国に生ぜんと願ぜば、すなはち往生を得、不退転に住せん。

 「回向して」と訓むと、主語は衆生になる。親鸞は衆生(凡夫)に回向はできないと考えるので、「回向せしめたまへり」と訓んで主語を如来にする。こうして、如来回向の念仏(名号)による往生=住不退転、という他力浄土門の眼目が明確にされるのだ。

 「訓み下し」の利用は、この部分だけではない。『教行信証』の全編で行われている。親鸞は徹底して経文を「如来が回向の主体」となるように訓んでいる。


 親鸞の「訓み下し」の方法は、単なるつじつま合わせではない。もっと大胆な効果を狙っていたのではないかと思う。

 経典の文脈から切り離された段落は『教行信証』の中では別の意味を与えられる。それが経典に戻されると、経典の文脈が変化し、経典の位置づけが変わるように感じられる。

 インドから西域を通り中国を経て日本に伝来した仏教(自力聖道門)が、他力浄土門として日本からインド(釈迦)へと送り返される。その様をまざまざと見せつけられている気分になるのだ。



川西 蘭(かわにし らん)

早稲田大学(政治経済学部)在学中『春一番が吹くまで』で作家デビュー。以後、映画化された『パイレーツによろしく』など話題作多数発表。近作に、自転車ロードレースに熱中する少年たちを描いた『セカンドウィンド 』シリーズがあり、第三部まで既刊。来春、第四部(最終巻)を刊行予定。『坊主のぼやき』など仏教関係の著作もある。浄土真宗本願寺派僧侶。東北芸術工科大学文芸学科教授。

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