インタビュー

Vol.17

漢字を手放さなかった日本語(後編)

沖森卓也


――よく「日本には文字が無かったので漢字が当てはめられた」と言われますが、中国ももともとは最初から漢字があったわけではなくて、漢字をそのときの言葉に当てはめたという歴史があるんですよね。

そうなんですよ。形声は音を当てはめていると言われているんだけど、音っていうのは意味なんですよね。類義って言ってもいいんですけど、これくらいの範囲の意味というのを実は当てはめているっていうことなんですよね。だから音と形声というのは似ていて、形声とは何かといえば意味の世界なんで、音と意味というのはある程度結びついていると考えたほうが良いんです。

――中国の古代まで遡ったうえで、現代の日本まで繋がっていくというと、日本の古代よりもさらに遡ってしまいますね。

もちろん日本語のなりたちや起源にも興味はあるんですけれど、そちらはね、資料があまりないもんだから難しいんですよね。周辺言語を見てもなかなかよく似たものがなくてね。

中国語はシナ・チベット語族に属していて、チベット語とよく似ているというんだけど、実はシナ・タイ語派という下位概念があって、タイの言語と親族関係があるとも言われているんです。証明されていないという立場の人もいるんですけど、私はたぶんそうだと思うんです。そこにまた思い当たったのは、やはり形声で、「各(カク)」という字がありますよね。これにさんずいをつけると?

――「洛(ラク)」。

草冠をつけても「落(ラク)」ですよね。糸偏をつけても「絡(ラク)」。もう一つは足をつけると?

――「路(ロ)」ですね。

今言った「ラク」「カク」。さっきはサ行とタ行でしたけど、今度はカ行の音とラ行の音とで何で変わるのかという問題なんです。私は、中国語は昔二重子音だったんじゃないかと思っているんです。つまり「kl」っていう頭子音があって、現在の英語でも「クリーン」のように「cl」とか「cr」で書かれるスペリングはそう珍しいものでもありません。中国語も昔「ラク」や「カク」というのは二重子音で「クラック(klak)」というような音だったのが、一方では「ラク(lak)」になりもう一方では「カク(kak)」になったと。こういうことが見えてくるとけっこう面白いんです。それでタイ語には二重子音で「kl-」という発音が存在してるんです。中国語にも二重子音、場合によっては三重子音もあったという説もあります。今では子音は一つだけですけどね。そういうのも形声と言われているものの一つなんですよ。

――授業で当たり前のように「形声」と教わってきましたけれど……。

形声と言われたけど、「ラク」と「カク」と「ロ」がもとは同じ音だったということには何らかの説明が必要ですよね。でもこういう例は授業では使わないです。都合が悪いから(笑)。

――雑学としても、発音がどこかのタイミングで変わっていったとか、もとは同じ音だったというのは興味深いですね。

国際化に対応した日本語へ


――日本語というものの魅力について、どのように感じていらっしゃいますか。

外国人から見て日本語というのがどう面白いかという見方もあるし、私自身は日本語が面白いかどうかと聞かれたら、ニュートラルですね。そんなに面白いとも面白くないとも思えないんです。でもあえて言えば、まずやはり外国人から見て難しい文字ですよね。文字の面白さっていうか複雑さが大きな魅力でもあり、逆に言えば欠点でもあるのかなと思いますね。

常用漢字の数が1945字から2136字になって増えましたよね。インドネシアから来ている看護師になりたい人たちから見ると、2136字を覚えるのは大変ですよ。もちろん単語を覚えるだけでも大変なのにさらに漢字を覚えないといけない。そういうことを考えると、魅力でありつつも国際化の中で日本語というものを考えていくと、漢字はもう少し簡単にしたほうがいいんじゃないかなと思いますね。魅力であるということでいうと、いろんな当て字ができるとか、楽しみもあるんですけど、それだけで面白いとは言っていられないですね。

たとえばアクセントですが、共通語のアクセントはもちろん存在はするんですけれど、たとえば関西弁のタレントが来て関西弁のアクセントで話しても通じるわけですよね。ということは実はアクセントというのは要らないんじゃないかっていうことにもならないですか? これも言語学的にいえば音韻の一つと言われていて重要な要素ではあるんですけど、ないからと言って問題があるかというとそうでもないと。そういうところも面白いといえば面白いですよね。「柿」と「牡蠣」とか、特定できない場合もあるかもしれないけど、だいたい文脈によってわかりますからね。そういう意味で言うとアクセントは面白いと思うと同時に、要らないのかなという気もしますけどね。

あともう一つは面倒だけれど語彙の豊富さですね。同じ意味を表す似た言葉がありすぎるんです。たとえば「死ぬ」という言葉、普通は「死亡する」ですけど「逝去する」というと位が高い人に使われます。「死ぬ」という言葉があるんだったらそれだけでいいのに、なんで「死亡する」とか「逝去する」とか「亡くなる」と言ったりするんだろう。外国人の日本語学習者からすると不思議に思われるんだろうけど、われわれからするとそれぞれニュアンスが違うんですよね。

あと「生まれる」も、「誕生する」と「生誕する」とではちょっとイメージが違う。キリストは「生誕する」けど「誕生」はしないですよね。でも、子供の「誕生日」と言うんですよね。「生誕日」と言ったら面白いかもしれないけど。こういうのも国際化のなかでは弱点と言ってもいいかもしれませんよね。

――「私」という一人称も、英語では「I」だけですが、日本語にはたくさんの表現がありますよね。性別や年齢、立場で変わったりしますね。

女性は「わたし」「わたくし」ですが、男性は「俺」とか「僕」とかも使ってバラエティがありますよね。

――でも、国際的にはハードルが高いと。

国際化を考えると、もっとやさしくしていくことが重要かなと思います。

――それはどのような形で、どのくらいのスパンで、やっていくべきものなんでしょうか。

どこかでスパッと決めて、言葉を言い換えていくようなことができれば可能でしょうけど。国が前面に出るのはよくないのかもしれないけど、国民的な支持が得られればできるのではないかと。僕は実は常用漢字の改訂に携わっていて、委員をやっていたんですよ。ワーキンググループで漢字を新たに選んだり落としたりする作業に携わっていたんです。私の個人的な考えでは、漢字は便利なんだけど国際化するなかではもう少し少ないほうがいいなというところなんですけど、現在の国内の風潮はもう少し漢字を増やしてほしいという流れで、最初からそういう職務で加わりました。その前の議論には参加してないんですよ。実務として漢字を増やそうという段階で委員に入って、どのくらい文字を増やしましょうかとか、どの字を入れましょうか、という議論にしか参加していません。そのため、内心忸怩たるものがあるんですが、実際にはできれば使える漢字を減らしたいと思っているんです。二段階に分けてそれぞれ使い方を変えるというのでもいいと思います。

かつての常用漢字表を見てみると、減らしていい漢字はいくつもあるんですよね。たとえば、「貿」は「貿易」という言葉をあらわすためだけにしか使われなくて「貿」単独や「なんとか貿」とは使われないんですよ。だったら、貿易を「交易」と言い換えれば「貿」はもう使わなくていい。「拷」も「拷問」にしか用いられない。もちろんほかに熟語があるにしても一般的には使われていない。「拷問」も違う言い方にすれば、この漢字もなくなるんです。そうやって辞書を見ていくとね、「脂肪」の「肪」も「脂肪」にしか用いない。「剖」も「解剖」くらいだなとか。用例が少ない漢字を見るとね、違う言い方にすれば使う必要がなくなるのではないか、そんな気がしているんです。なくそうとすれば、いくつかはなくなって、スリムになるように思っています。

――こういった漢字は昔は違う熟語にも使われていたんですか?

「肪」は、あぶらの意味の「膏肪」なんていう語にも用いられてはいます。中国語は単音節言語だから、1字漢語だけでも意味があって、この単音節に相当するのは日本語の和語ということでしょうか。ただ、いろんな由来をもつ二字漢語が中国で使われているように、日本語も複合語が多いですよね。

――漢字同士の書き換えももちろんできますけど、大和言葉に戻すのもありですよね。

「娘(むすめ)」もそうなんです。これも「むすめ」としか読まないですよね。音は「ジョウ」なんですけど「おじょうさん」には別の漢字で「お嬢さん」と書きます。「むすめ」というのは和語だからひらがなで書いてもいいという説が一つと、「むすこ」は「息子」と書きますから「息女」と書いて「むすめ」と読めばいいじゃないかと(笑)。漢字のあり方を現代語から見ていくと改善の余地があるかなと。

――国際的に通じるような共通部分を整理するということですよね。

根本的に変えるんじゃなくて、この部分はちょっとそぎ落としてもあんまり問題はないだろうというところから努力していくということが必要かなということですね。

――新聞やテレビ、書籍などでの共通的な使い方の部分ですよね。

個人的には今からやろうと思えばできることですけどね。これは漢字だけの問題ではなくて、日本語を国際化する中でどういう手立てがあるだろうか、という問題です。日本人が留学に行く、あるいは外国人が日本に留学しに来るという人の流れを考えると、日本語は日本人のためだけのものか?という問いかけはあったほうがいいと思いますね。今後を見据えて日本語の国際的な地位とか、今後の日本人の生き方を考えていくと、もう少しグローバル化する視点が必要なのかなと思っているんです。

そんななかでいざ漢字となると、外国人にとって難しいかなと。今漢字を使っている国って中国と日本だけですよね。韓国はやめちゃっても言葉は書けます。漢字をなくそうという議論じゃなくても、もうすこし負担を軽くしようという議論があってもいいのかなと。単に留学生を増やせって言うんじゃなくて、ソフト面というか内容的にね。日本語の学習、習得の負担を軽くするという視点はあってもいいと思いますけどね。

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