• HOME
  • エッセイ
  • 大岡 玲 Vol.6 日本語は、頑固なダブルデッカー(六)
エッセイ

Vol.6

日本語は、頑固なダブルデッカー(六)

大岡 玲

2013.09.24

 大学一年生限定、しかも半期のみ開講する「教養ゼミ」という講座を、ここ数年担当している。専門のゼミに入る前の、いわば肩慣らしといった位置づけのゼミなのだが、私の勤務先が「経済大」という名前である以上、経済や経営についての基礎的な「教養」を教えるのが本来なのだと思う。

 しかし、もちろん私にはそんなことを教える能力はない。いきおい、自分の土俵に学生諸君を巻きこむことになる。そんなわけで、そのゼミでは、『今昔物語集』を素材にした芥川龍之介の『羅生門』とか『鼻』といった作品と、その元ネタになった何篇かを比較しながら味読するという授業をしているのである。

 国文科(いまやこの呼称は絶滅危惧種になりつつある!)ならいざしらず、経営を学びに来た(はずの)学生さんに古典の素養や興味がそれほどあるとは思えなかった(ウチの大学は、入試も現代文のみだ)ので、授業はあるいは難渋するかしらんなどと考えていたのだが、意外にもそうではなかった。

 芥川の文章はなんとか現代文の範疇だから当然といえば当然だが、今昔の方もたいていの受講生が現存最古の鈴鹿本に倣った漢字片仮名交じり文のテキストをスラスラ朗読し、かつ意味もだいたい理解してくれるのだ。なんだかうれしくなってしまう。

 高校で古文を学んでいた学生さんが受講しているケースが多いというのも一因だが、しかし、ならば『源氏物語』はどうだッ! と意地悪をすると、こちらは読みづらいらしい。やはり、『今昔物語集』の方が彼ら彼女らにとって地続き感があるようなのだ。これは一体どうしたわけなのだろう。

 まず思うに、漢字片仮名(および仮名)交じり文は、すでに前回このコラムで指摘したように、長い歴史を経て私たちが今使っている文章語の基本形式になった文体だ。法学部(ウチの大学にもあります)に入学すれば、昔風の漢字片仮名交じり文で書かれた古めかしい民法の条文を目にすることもあるだろう。ようやく二十一世紀に入って進められた民法の現代語化ではあるが、いまだに部分的には昔の文章が残っていたりする。つまり、今どきの学生さんであっても、やわらかい和語だけで構成された古文より、こちらの方が多少馴染みがあるから読みやすい可能性があるのだ。

 さらに、こうした堅い文章に使われることとも関係があるのだが、漢字片仮名交じり文は微妙繊細な感情を表現するのには、どちらかというと向いていない。もちろん、天才変態・谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』のような例外はあるが、もともと公文書系漢文から発生したものだから、即物的説明に長けているのである。

 『今昔物語集』もそうで、描写は即物的でお話に登場する人物たちの感情表現も、ほとんどブッキラボウと言っていいほどの簡潔ぶりである。文学というより、むしろ新聞記事のようなという表現をしてもいい気がする。

 実際、『羅生門』の原典の一行目はこうだ。「今ハ昔、摂津ノ国辺ヨリ盗セムガ為ニ京ニ上リケル男」。盗人がどこから来たかを、ちゃんと具体的に述べている。ぼやかして「ムカシムカシ、アルトコロニ」と書く方式ではないのである。わざわざ「□天皇ノ御代」という風に四角で囲って空白になっている場合もあって、それはモデルがあるのだけれどはっきりしていないから、判明次第挿入する予定といった感じなのである。なんとなく、実直なスキャンダル実話誌みたいで面白い。

 しかし、この読みやすい『今昔物語集』、その成立年代や伝承の経緯などは謎めいている。おそらく十二世紀の前半、1120年代あたりに書かれたものだろうと推測はできるが、はっきりしない。作者についても説はいろいろあるが、決め手はない。仏教説話の分量が多いから、たぶん僧侶なのではないかと思うのだが、それも個人なのか複数なのか見当がつかないのである。

 しかも、最古の伝本である鈴鹿本が原本そのものである可能性もあって、そうだとすると、『今昔物語集』は最初から書き下し文的な漢字片仮名交じり文体で執筆されたことになる。ここがまた、興味深い点なのである。というのも、十二世紀から十三世紀にかけて成立したこうした説話集は、文体の点ではそれこそ混淆状態で、いわゆる変体漢文(正統な漢文法ではないもの)から仮名交じり文までバリエーションはさまざまなのだが、やはりたいていの書き手の意識は漢文主体だった匂いが濃厚なのである。

 たとえば、弓削の道鏡と女帝・称徳天皇のセックススキャンダルや、その他やんごとなき方々の、今風に言うならボーイズ・ラブ系の話などが満載の『古事談』(作者は源顕兼)は、今昔よりあとの成立らしいのに、がっちり変体漢文で書かれている。なぜ、『今昔物語集』の作者は、そういった形にしなかったのか。当時のインテリ向けなら、漢文でよかったのだ。ならば、誰にむけて書いたのか。

 そして、この説話集の存在が他の資料で確認できるのは、成立年代と目される頃から、なんと三百年ほど経ってからなのだ。つまり、編纂後三百年どこかに死蔵されていたわけである。なぜなのか。『今昔物語』よりも百年後あたりで成立した、漢字ひら仮名交じり文体の『宇治拾遺物語』との関連はどうなのか。考えはじめると止まらないほど、『今昔物語集』には魅力あふれる謎がひそんでいる。今度のゼミの予習も兼ねて、またさまざま頭をひねってみることにしよう。

この項続く



大岡 玲(おおおか あきら)

1958年東京都生まれ。東京経済大学教授(日本文学)・作家

東京外国語大学大学院ロマンス系言語学科修了。89年『黄昏のストーム・シーディング』で三島賞、90年『表層生活』で芥川賞を受賞。書評やエッセイ、イタリア語を中心とした翻訳も手がける。近著に『本に訊け!』(光文社)、『文豪たちの釣旅』(フライの雑誌社)など。文芸誌『こころ』(平凡社)で、2013年4月から連作短篇の連載を開始。

▲PAGE TOP